死にがいを求めて生きているの 朝井リョウ 感想

皆さんこんにちは。ジェームズです。

今日は朝井リョウさんの「死にがいを求めて生きているの」についての感想を書いていきたいと思います。

はじめに

皆さんにとって生きがいってありますか?その生きがいと感じるものって何ですか?正直この質問、僕たち若い年代の人にとって、最も苦しむ質問だと思います。どこか世の中の風潮的に、なくてはならないものとして認識されているものだと感じます。特に大学生にとって、就活などで生きがいについて考えることが多くあり、無理やり作り出そうとして、焦っているように見える人も多いと個人的に感じることがあります。

ストーリー

ではここで、この本の大まかなストーリーをご紹介していきます。この本は、文芸誌「小説BBC」の創刊にあたり、8組の作家によって紡がれた「螺旋プロジェクト」の一作です。このプロジェクトの屋台骨として、古代から未来までの「海族」と「山族」の対立構造が描かれています。そしてこの本はその時代の流れの現在にあたる物語です。

古来から山族と海族の対立構造について研究を行う父を持つ、南水智也。そして智也の父が言うには自分たちは海族の人間であり、同級生の堀北雄介は山族の人間。だから関わり合いを持つなと幼稚園の頃から言い聞かせられます。しかし智也はその父の研究に対し、生まれる前からそういう風に線引きされるのはおかしいという思いから雄介と度々衝突するも、その度に仲直りをして幼稚園から大学までずっとそばに居続けます。

一方の雄介は、他人との対立構造を生み出すことによって、価値を見出し、他人の評価から自身の存在価値を認識していきます。次々と自分を形作る背景を手に入れようと必死になるのです。

生きがいとは

物語の後半、智也と雄介が言い合いになるシーンがあります。そこで智也は雄介に対し、「何故いつもそんなに対立する相手を見つけようとするのか。何故何かを成し遂げた人になるためにそんなに必死なのか。」と問います。その言葉に対して雄介は「智也も人のことは言えない。父の研究を否定するという生きがい、背景が最初から存在する。それがない人は新しく作り出しながら自分自身の存在価値を生み出すしかない。他者貢献でも自己実現でもなく、自分自身の生命維持装置として存在する人。生きがいがない人。この部類の人間に堕ちたくないから。」と言い放ちます。

最後に

僕はこの本を読んで生きがいって何だろう。本当になくてはならないものだろうかという読む前から感じていた疑問がさらに深まってしまった気がしました。

でも一つの気づきとして、僕は成し遂げるより、やり遂げることに重きを置ける人間になりたい。ゴール、目標を他人の価値より、自分自身の物差しで判断できる人間になりたいと思いました。時間はかかるかもしれないし、もしかしたら達成できないかもしれないけど、心の中にこの気持ちはずっと持っておきたいなと思いました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。